2008年10月19日

#82

「この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
 世界と君は、二本の木が並んで立つように、
 どちらにも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
 きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。
 世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。」
                                  (池澤夏樹)


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2008年08月12日

#81

ロシアとグルジアが交戦している。
あのあたりはエネルギー問題や歴史的・民族的背景が絡まって
かつてのバルカン半島のような状況だ。
停戦交渉は平行線をたどっているが、どちらの主張もおそらく間違いではない。
彼らは彼らにとっての正義に自縛され、それを忠実に遂行しているだけだ。
外野としてはせめて対話に持ち込めないものだろうか、と無責任に思うのだけれど。
9日の時点で既に1500人以上が死んでいるという。
それ以外の被害を含めれば、相当な数の人たちに影響は及ぶ。
多分、この先も遺恨は残る。くすぶり続ける火種。


よく見てみよう。
戦争に絶対的な悪の存在は有り得ない。
そこにいるのは悲しみに暮れる被害者と、困惑する傍観者だけだ。
被害者は正義を叫び、報復を求め
傍観者はそれを追認し、また新たな被害者を生み出す。
そう、戦争は被害者の正義によって始まる。

エネルギー、領土、鉱物資源、あるいは国家間のパワーバランス。
おそらく国家の首脳は様々な利益・状況を考えて戦争に踏み切る。
だが、国全体を戦争へ動かすのはそれらの理由ではない。
大多数を占める傍観者が同情することで補強された、被害者の正義だ。
だからこそ、私たちは戦場における正義の存在を見極めなければならない。
それが正しいのか、間違っているのかということではなく
それが本当は誰にとっての正義で、誰にとってそうでないのかを。
私たちは、誰かの正義が必ずしも自分の正義ではないことや
その逆もまた然りであるということを知っている。

たとえば、平和を求めるとしよう。
拳を上げて声高に平和を叫ぶことが、本当の平和につながるのではない。
必要なのは、被害者の正義が負の連鎖となるのを止めること。
私たちが私たちの、あるいは彼らの信じる正義を冷静に観察し
それらを相対化することから平和は始まっていく。
つまるところ、これはコミュニケーションの問題そのものだ。
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2008年06月01日

#80

「人は二度死ぬといわれている。
 一度目は実際に死ぬときであり、2度目は写真が発見され
 それが誰であるか知る人が1人もいない時だ」
                          
                        (クリスチャン・ボルタンスキー)
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2008年04月08日

#79

「風邪をひきました」



「水星の周回軌道に入ると
 メッセンジャーは最高で370度もの高温にさらされることになるが
 特殊なセラミック繊維で作られた厚さわずか約6.4ミリの
 熱シールド板で覆われている計測機器は室温の環境で動作できる。
 これに対し、かつてのマリナー10号では
 旧式で奇妙な日よけの傘しか装備していなかった」



「映画に目的というものがあるのならば
 ソクーロフはその構築を投げ出したように見えた」



「あやまって我のものとも
    あやまって他人のものとも
       夢はつきない」



「ケン・ローチがなんでケスを殺したのか、分かるかい?
 僕は彼があのラストシーンを描いたからこそ
 『ケス』という映画は稀有になりえたと思っている」



「続く物語を読むという安心感、あるいは惰性」



「すべて順調に進めば、2011年にメッセンジャーは
 水星の周回軌道に入る初めての探査機となる」



「僕は彼女を撮ろうと思った」




「Some people say you hate me,
 I dont believe its true, things that youre going through」



「今から103年前のちょうど今頃、冬のキティホークで
 オーヴィル・ライトは鳥になった。
 少し不恰好に、しかしそれは確かな、先人が夢見た空へ」



「少し昔の話をしよう。
 彼がまだ地方の支局で駆け出しの記者だった頃の話だ」



「オリオン座の3連星の左上に赤く輝くのがペテルギウス。
 この星はその巨大さゆえにまもなく寿命を終えようとしている」



「もしかしたら、僕らは同じ場所をぐるぐると回り続けているのかもしれない。
 それはコンパスで円を描くように、幾重にも線を重ねて
 単なる閉塞感とはまた別の空気を抱きながら」



「1兆年に1クロックの速さで思考する生命なら、それは永遠に近い」




「岬と同じ名前が付いた駅から南西へ5キロ。
 アップダウンのきつい一本道を、僕はひたすら歩き続ける」



「早朝に起きて、コントローラを作り、アクションを数個書く。
 夕方、mongrelをさらに8プロセス投げる。
 mongrelを投げてから、route.rbを眺めると、そのroutingは
 "私の線路は私が描く"というように見える文字列になっている」



「それはよくできた映画のような展開で」



「風の音は、実際のところ
 音というよりも感触として僕らに伝えられた」



「少し聞こえない僕と、何も聞こえない彼女と」



「手を伸ばせば、触れられるほどの距離にいたけれど。
 雨がやんで、風が吹いて
 それはとても美しい季節でした」
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2007年12月18日

#78

ぼくが死んだなら、海と山の近い場所に埋葬してほしい。
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2007年10月18日

#77

慣れることは悲しい。
いつもの道を、僕は下を向いたり、上を向いたりして歩く。
新鮮さを失わないために。
感覚を麻痺させないために。
建物が壊され、また建てられる。
工事の場所が少しずつずれていく。
何かを感じられなくなるのはいやだから
角度を変えて景色を眺めながら
僕はいつもの道を通って古い家に帰る。

雨が降ったら雨の匂いがする、ということを思い出したのは
庭に埋められた猫の前だった。
それは草や土の匂いと言い換えてもいいのかも知れない。
都市における完璧に近いアスファルトの舗装は
無自覚に人の嗅覚を殺していく。
僕はたった2年で雨の匂いすら忘れていた。
あるいは嗅覚の記憶だけでなく。

あることを何か他の物事に結び付けて覚えると
後々まで記憶が残る確率が上がります、と教わった。
でも、都会の生活はそれを意識する以上のスピードで
僕をあっという間に慣らしていく。
悲しいことはいつも雨の日だった気がする。
だから僕は雨が嫌いだ、というのを
雨が降る日の猫の墓前で思い出した。
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2007年10月14日

#76

多感な人が、多才であるとは限らない。
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2007年10月01日

#75

大抵のことは忘れる。
でも、音もせずに埋もれていったのに
ふとした時に地上へ顔を出す化石のような思い出もある。
僕はその存在自体を忘れていた。
今考えれば、悲しすぎるからそれを忘れたのだろうと思う。


悲しいから忘れざるを得ない、ということを理解できない人は
「人間は悲しいことはすぐ忘れます」と言うと怒る。
本人は自覚していないが、そういう人はきっと恵まれて育ったんだろう。
本当に悲しいことが起こったとき
人は一切の思考をシャットダウンしてしまう。
例えば、僕にとってそのときは「何事も起きなかった」。
そう思っていたはずなのに。


電車の中で、繁華街で、細い路地で
忘れられたはずだったことを思い出した僕は
よくわからない気持ちでそれを抱える。
欠けていた記憶を取り戻した嬉しさと
その当時の悲しさがごちゃごちゃに混じった
まるで適当に作ったまずいカクテルみたいなやつを。


あの時の僕は死にたくなるほどの苦味を感じていた。
10年ちょっと経った今、相変わらずの苦味とすこしの酸味。
僕はようやくその記憶を消化し始めている。
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2007年09月21日

#74

「けれど大学教育で本当に大切なのは
わからないということへのタフネスを身につけることに
精力を注ぐことだと私は思う」
                      (玄田有史)



わからないことに、人は不安を覚える。
どちらかと問われれば、わかりやすいほうがいいに決まっている。
しかし、現実で暮らす私たちの目の前に転がっている問題は
実際のところよくわからないことばかりだ。
ならば、わからないという状態に対する耐性やタフネスを
身に付けさせるという方向性は
大学教育へ向けられた「人材の育成」という社会的要請に対する
極めて現実的な解であるように思える。



「わかったことは、わからないということだけ」
                      (沢木耕太郎)



あるいはそれをそのまま受け止めること。
まず、わからないという自覚があることが
歩を先に進めるための推進力となりうるのではないか。



「ただ風ばかり吹く日の雑念」
                      (尾崎放哉)
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2007年07月31日

#73

『1985年発行、つまり、ほぼ二十年前に発行された
「科学技術を考える」(グラフィケーション編集部 編)には、
坂村健、渡辺茂、村上陽一郎、竹内啓ら19人による対談11編が
収録されている。

 1985年というと、つくば科学万博が開かれていた頃だ。
しかし、その内容は決して古くない。それは、次の文章を
読むことで、まざまざと実感させられることだろう。

「万博会場の自動翻訳機を使って、エスキモーとケニア人が
対話している。いまや、世界中が科学の力で結ばれている。
ロボットにピアノを弾かせたり、似顔絵を描かせることが
流行している。しかし、そんなことができたからといって、
世界中に渦巻いている異民族間、異文化間の問題が何か一つでも
解決したわけでもない」

 坂村 健は対談相手の端山貢明にこう語る。

「技術の進歩が早い、早いとよく言われますが…
新技術が研究されてから一般化するまでに二十年かかる」

 この言葉は今から二十年前に交わされた会話である。
「二十年前の過去」の未来を振り返ってみることも
とても良いのかもしれない。
「二十年前の過去」の未来はまさに今現在であるのだから。

「 都合の悪いことはいつもくりこむ。
ほんとにそれでいいのかな 」

「都合の悪いことはいつも繰り込んで、そして、
いつでも幸せを探す」
だって、みんな人間なんだもの。

好きになった女性の素敵な笑顔をみるたび、それが
DNAの膨大な組み合わせの中に存在する、「たった1つ」
の結果であるということに、
「あぁ、本当に良く組み合わさってくれたなあ」と、
思います。

 今も、私が大学で勉強する必要性はわからない。けれど、
少なくとも、彼女に立派な「大人」になったと認められたいために、
彼女に追い付くために、今日も私は学校へ行く』

                            
                                (平林 純)
posted by bakkai at 15:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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